「フレーゲ『算術の基礎』の無矛盾性」(ジョージ・ブーロス)

3月2日読了の論文の内容紹介。書いたのは本日なので、本日付けに移動します。「フレーゲ哲学の最新像」(勁草書房)所収。

内容の紹介

  1. フレーゲの「算術の基礎」の整合的な部分を取り出す
    • フレーゲの「算術の基本法則」では自然数を明示的に定義する際に外延を使用し、公理(V)がラッセルのパラドックスを導くので、その体系は矛盾していることがいえます。
    • では、「算術の基礎」は矛盾しているのか?こちらは、(こういう言い方が適当なのか自身がないですが)自然数の暗黙的な定義のみを与えており、形式的体系を全く提示していないので、何とも言いようがないでしょう。
    • しかし、たとえ「基礎」をラッセルのパラドックスが起こらないように定式化できたとしても、まだ問題は起こりえます。例えば、「基礎」では 0 を  Nx(x\neq x) として定義しますが、これが許されるならば、 Nx(x=x) こと「最も大きな数」だって存在してもいいはずです。従って依然としてカントールパラドックス(「順序数全体からなる集合は存在しない」)などの脅威はつきまとい、その体系が無矛盾であることを証明する必要があります。
    • ということで、この論文では以下を示します。
      1. フレーゲの外延の使用は、決してラッセルやカントールパラドックスを招くような無制限なやり方ではない。フレーゲによる外延の使用法は、包括原理以外の各種の第一階概念の存在主張と矛盾なく調和させることが出来る。
      2. それを示すため、「フレーゲ算術(FA)」を定義する。これは二階古典論理上の算術(=解析学)の部分体系であり、数は一階の対象となり、概念の外延は二階の対象、「等数的」などの性質は二階の量化子を含む論理式で与えられる。従って、解析学(つまり二階古典論理上の算術)が無矛盾であれば、FAは無矛盾である、という相対的無矛盾性がPRAで(p.102)証明できる。ついでに言うと、解析学が矛盾していたらビックリであり、従ってFAも無矛盾であることは非常に確からしいことであろう。
      3. FAにおいて、フレーゲの算術についての議論のかなりの部分を、そこで展開することが出来る。その意味で、フレーゲの「基礎」は無矛盾に形式化することは可能だし、そうすることでフレーゲの「自明な前提から算術を建設する」と言う、非常に重要な部分を救うことが出来るだろう。
  2. FAの定義
    • FAは、二階論理上の「算術」ではあるが、算術の公理系を含んでいる訳ではない(この点が Z_2などとの通常の二階算術と違う)。
      1. 一階の対象である「対象」はx,y,z,...、二階の対象である「概念」はG,F,...、二階の二座の「関係」 \phi,\psi,...
      2. 唯一の非論理的記号として、\eta を持つ。これは、 G\eta xのように、概念と対象を関連させる働きをする(つまり通常の集合論での\inと同じ役割である)。
    • 二階論理の公理図式として、特に以下の二種類の「包括原理(の変種)」を持つ。
      1. 任意の(Fが自由に現れない)FAの論理式Aに関して \exists F \forall x (Fx \leftrightarrow A(x)) が成立する
      2. 任意の(\psiが自由に現れない)FAの論理式Bに関して \exists \psi \forall x \forall y (x\psi y \leftrightarrow B(x,y) )
    • FAの唯一の非論理的公理は以下のものである。
      1. Numbers:  \forall F\exists ! x\forall G (G\eta x\leftrightarrow (F eq G))
    • ただし、
      1.  F eq G は概念 F と G の等数性を表す、以下の式である: \exists \psi( \forall y (Fy\to \exists ! z (y\psi z\& Gz))\& \forall z (Gz \to \exists !y(y\psi z \& Fy)))
      2. \eta は、ここでは概念GとGがそのもとに属するような高階の概念(「概念 G の数」)との間に成立する関係を表現するために使われており、ここで二階の対象である「概念」Gの「数」という本来ならば三階の概念となるべきものを、一階の対象として、階数を引きずりおろす役割を果たす。
  3. FAの相対的無矛盾性について。
    • クリスピン・ライトらの N^=の相対的無矛盾性証明を参考にすることで、FAに関しても相対的無矛盾性を証明することが出来る。まず簡単なケースとして、ZFでモデルを構成しよう。
      1. Mの一階の変項の領域として U = \{ x: x=0,1,2,\cdots \aleph_0\}を取る。二階の変項の領域として{\cal P}(U)を取り、また二階二座の変項の領域として{\cal P}(U\times U)を取る。
      2. 「〜の数」を表すオペレーター N を解釈するため、関数  f: {\cal P}(U)\to Uで、f(X)=「集合 Xの濃度」を与えるものを定義する。ポイントは、Uが \aleph_0を含んでいることで、これがないと無限個の自然数について成立するような概念(「素数である」とか)の数であるということを表現することが出来ない。
      3. このモデル M は、当然二種類の包括原理のモデルとなり、またヒュームの原理のモデルとなるし、さらにNumbersのモデルともなる*1
      4. このモデルの構成はZFで行われており、「ZFが無矛盾であれば FA も無矛盾である」ことがZFの定理として証明された。
    • 上ではFAの無矛盾性をZFから証明したが、実は、ZFは不必要であり、もっと弱い二階算術で相対的無矛盾性を証明することが可能である。
      1. トリックは、上のZF内部での M の構成について、 \aleph_0を0でコードし、FAの自然数 n を二階算術の自然数 n+1 でコードすることである(ますますヒルベルトのホテルっぽくなる)。
      2. \mbox{Eta} Fx(\neg \exists z A(z,F)\&x=0)\vee (\exists z A(z,F)\&x=z+1)と定義する。このとき、\exists ! x \mbox{Eta}(F,x)および(\exists x \mbox{Eta}(F,x)\& \mbox{Eta}(G,x))\leftrightarrow F eq G は二階算術で証明できる。
      3. 以上の解釈を使用すれば、もしFAが矛盾する証明を持つなら、それを二階算術における矛盾を導出するような証明へと書き直すことが(PRAで)可能である
  4. FAにおける算術の構成について
    • 「基礎」における議論は、多くの部分がFAで遂行可能である。ブーロスは、例として第68節から83節の議論をFAでやってみせている(p.92-99)。例えば、祖先関係を使って、全ての有限数が後者を持つこと \forall m (\mbox{Fin} m\to \exists x (\mbox{num(x)} \& x=s(m))) を証明する(ただしsは後者関数、num(x)は「xは数である」、Fin(x)は「xは有限数」を表す)。実際、かなり多くの数学がFAの枠組みで展開されうる(解析学の大半がFAで展開されうる(p.102))。
    • さて、Numbersを二階論理において仮定すると、 \forall m (\mbox{Fin} m\to \exists x (x=s(m))) のような算術の定理が証明される。この定理は、Numbers 「のうちにはどう見積もっても前もって考えられていたようには見えない」。従って、「Numbersが上の命題を導出する」ことは(カントに倣って)総合的なであるように見えるし、そうだとすると、フレーゲは数学的真理は分析的だと証明したことにはならない。もちろんフレーゲは、カントに対して、「カントはこの種の(論理的)分析概念を持っていなかったし、だから内容が演繹によって創造されうるなどとは考えもしなかったのだ」と反論しうる。
    • FAにおける Nx(x=x) こと「最も大きな数」について、 Nx(x=x)= Nx(\mbox{Fin} x) が成立するかどうかは、FAから独立である*2
  5. ラッセルのパラドックスと、Numbersの位置づけについて
    • FAにおいてラッセルのパラドックスの導出は、「基本法則」における公理(V) \forall F \exists ! x\forall G(G\eta x\leftrightarrow \forall y(Fy \leftrightarrow Gy))を認めれば可能である。包括原理から Fy \leftrightarrow \exists G (G\eta y \& \neg Gy)を定義し、公理(V)に代入すれば、いつものようにラッセルのパラドックスが得られる。
    • フレーゲはNumbersを論理的真理として認めた。しかし、Numbersも公理(V)も、FAの言語で書かれた、どちらも同じぐらい外延の存在にコミットした文である。そして体系が整合的であるためには、包括原理(のFAバージョン)を真として認める限り、フレーゲは公理(V)を論理的真理と見なすわけにはいかない。だが、Numbersを公理(V)からどう区別すればよいのか、全然明らかではない。
    • 実際、Numbersは、無限に多くの自然数の存在を含意するが故に、純論理的な原理と見なすことは非常に難しいと思われる。結局、論理とは「それについてわれわれが語っていると思われるものが何であろうと、そしてわれわれの非論理的語彙が何を意味しようと真である、そのような真理に他ならない」。
  6. まとめ
    • まとめると以下のようになる。
      1. Numbersは論理的真理ではない
      2. フレーゲは論理主義が正しいことを「基礎」では示していない
      3. もし数学が総合的であるならば、論理学も総合的である(Numbersから導出されるような命題の、論理的に真な導出はたくさん存在するからである)。
      4. 論理主義の挫折はわれわれの心の働きについての理解に大した影響を与えない。
    • フレーゲの仕事の価値は、自明な真理(のように思われる)Numbersから、多くの諸帰結を引き出したことである、とも論じうる。この立場に立てば、論理主義の目的はむなしい希望であり、これを徹底した数学的成功とトレードすることだって可能だったはずだ。また、Numbersの自明性から、算術は分析的だと論じることだって出来たかもしれない(今となってはどうでもいい問題ではある)。ラッセルのパラドックスの最大の問題は、フレーゲの仕事の最も重要な点「Numbersからの算術の構成」の価値を、フレーゲから、そしてわれわれから覆い隠したことである。

個人的感想

これは哲学ではなく数学の論文です。明快で分かりやすい文章、数学者による哲学論文の分析と、明確な目標を持った再解釈のお手本であり、いつかこんな論文が書けるようになりたいものです。

*1:ブーロス曰く、Numbersはこのような無限集合U上で真となる(そしてこの\aleph_0を使用したトリックは有名な「ヒルベルトの無限ホテル」の逸話を思い出させる)ので、「ラッセルから手紙を受け取ったら、フレーゲはすぐさまヒルベルトのホテルにチェックインするべきだった」。

*2:先程のモデル M では、 Nx(x=x) = Nx(\mbox{Fin} x)\aleph_0であり、存在する。しかし別のモデル M' として、一階の変数の領域を  U'=\{ x : x<\omega_1\vee x=\aleph_1\}という可算順序数の集合を取ると、 Nx(x=x) =\aleph_1であるが、 Nx(\mbox{Fin} x)=\aleph_0である。