「デイヴィッド・ルイスの謎の論証」続報
先日ご紹介した、「反事実的条件法」におけるデヴィッド・ルイスの謎の論証の件ですが、"On the Plurality of Worlds" にそのことに関する本人のコメントが出ている、との情報をK氏から聞きつけ、読んでみました。
ルイスの論証
- ルイスは、可能世界を「実在する世界」ではなく、「文の無限集合」であると考える Linguistic Ersatzism に反対する。
- ルイスは、必然性を証明可能性に還元する方法も、Linguistic Ersatzism の一つと見なしている。
- このやり方で重要になるのは、文の無限集合の集合を生成するための "the proper axiom set" の中身を確定することである(そして証明可能性によって必然性を解釈するやり方に取っては、公理系の確定こそ最大の問題である)。
- 彼は、何が必然かを原始概念として持つことなしには、この axiom set の中身を確定することはできないと主張する。
- さて、前回見たような、PAを"the proper axiom set"と見なす*1やり方の最大の問題は、ルイスによれば以下のようなことであるらしい。
We don't want logically consistent but mathematically inconsistent ersatz worlds; and we don't want to lose mathematically implicit representation.(p.153)
- これは、以下のように解釈できるだろう。すなわち、例えば PA+¬con(PA) という公理系は論理的に可能であっても、「数学的には矛盾している」。
- 従って、con(PA)のような(公理系から導出不可能な)「数学的真理」は、axiom set に含まれなければならない(もちろん数学的言語上の必然性を考えているという場合の話ではあるが)。
So the axiom set had better include the mathematical truths, so far as these are expressible in the vocabulary of the language in question.(p.153)
- ルイスは全ての数学的真理が公理として the axiom set に含まれるか、もしくは定理としてthe axiom set に含まれる公理から導出されることを望んでいる。
- しかし、そんなことは、the axiom set として帰納的公理化可能な演繹的体系("effective syntactic test"が可能な体系)を考えている場合は不可能だ、というのが不完全性定理である(不完全性定理は、任意の算術のモデルを持ってきたとき、算術のそのモデルで真な命題全体は帰納的公理化不可能であることを証明している)。
- 一部の論者は、算術のための the axiom set として「算術の標準モデルで真な文の集合」を持ってくれば良い、と主張している。
- 無限個の真なる算術の文の真偽を確定することが可能かどうか疑問だが、それはそれとしておいておこう。
- the axiom set に所属する文の確定が可能だと仮定しよう。しかし、それは我々が the axiom set を確定し、つまり必然性を定義するための原始概念を確定したまさにそのときであり、必然性概念はその the axiom set によって一義に定義される。つまり、Pが必然であるとは、Pが the axiom set に含まれるときであり、そのときのみということになる。これでは、the axiom set とは必然性概念の別名であり、結局必然性を原始概念として理論を始めているのと同じではないか。
- つまり、どこでも必然性を証明可能性へ還元なんてしておらず、何が必然かを原始概念として持つことなしには、この axiom set の中身を確定することはできない、ということである。
数学的真理と必然性
言い換えると、ルイスにとって、算術における「数学的に真な文」の集合は、算術の標準モデルで真な文の集合にほぼ匹敵するようです。ルイスはCon(PA)などの文は(算術の演繹的な体系 PA では証明可能ではないにしても)数学的に真であり、従って必然的に真であるべきだと言っているように見えます。そして、数学的に真な文をPAの公理からの演繹によっては確定できないので、PAなどの演繹的体系は「むしろ間違っている」と罵倒されることになったということでしょうか。
ルイスの数学的真理に関する仮定は、常識的ではありますが、決して何の説明もなしに仮定してよいような問題のないものとも思えません。例えば公理系から証明不可能な命題に関して、Con(PA)ぐらいなら多くの人が「多分真だろう」と言うとは思います。しかし、連続体仮説(CH)が(もしくはその否定が)数学的に真である、そして同時に必然的に真であるという人がどれくらいいるか、とても疑問です。その意味で、ルイスの立場は少し素朴すぎるような気がしてなりません。なんというか、素朴に「数学的真理」には一種類しかない、とでも思っているというか。
彼の立場によれば、算術についての数学的真理とは標準モデルで成立する定理の集合のことですが、つまり、超純モデルは豊かな数学的構造を持っているにも関わらず、数学的な真理ではないことになってしまいます。私は、彼の立場は超準モデル上の豊かな数学的構造を無視することにつながるので、反対です。
といういう訳で、ルイスは不完全性定理を誤解していたのではないようですが、一方で数学的真理に関して強いある種の傾向(プラトニスト的とか実在論的と言ってしまっていいんだろうか)を持っていることが分かりました。考えてみると、ルイスは「全ての可能世界は実在する」とか言っているぐらいですから、(誇張的表現をすれば)たとえ全ての数学的真理は実在において確定している(加えてそれらは必然的に真である)とか言ったとしても、それほど驚くようなことではないのかもしれませんが。