"Reductive Theories of Modality" (Ted Sider) (4)

19時より22時まで、参加者は3人、p.14-p.16最後まで。

  1. Fictionalism について。 
    1. Fictionalistは、可能世界は「フィクションである」という。つまり、様相オペレーターを含む文 P について、P* を、Pの様相性を可能世界意味論の用語で書き直した文だとすると、Fictionslistは、Pは「可能世界というフィクションによれば P*」と分析する。もちろんこれは、何の還元にもなっていないし、様相概念の消去にも使えない。Fictionalismの意義は様相実在論への解毒剤としてであり、ルイスのように「可能世界は実在する」と言わずに可能世界意味論を使用できるという有用性が最大の利点である。また、我々は普通、日常会話の際に「〜によれば」という枠組み/根拠を暗黙の前提としているので、それを一種のFictionと考えるのは、その自然な表現であるとも言える。
    2. Siderはここで、Fictionalismの主張を明示的に再構成してみせて、それに反論している*1。Fictionalismが還元になっていないという議論は、Siderによれば、
      • Fictionalismは様相をフィクションと考える。従って、そのフィクションを字に書いた文 D を持つ。
      • Dには様相性に関するすべての説明が書いてあるので、つまり様相概念とは何かもしっかり書いてあるはず。
      • 従って、このFictionalismは様相概念を前提としており、様相概念を非様相概念に還元している訳ではない
  2. デイヴィッド・ルイスの具体的な(concrete)可能世界について
    1. ルイスは、可能世界は実在すると主張する。では可能世界とは何か?ルイスによると、その世界を構成する対象の mereological sum もしくは fusion のことらしい。しかし、二つの可能世界があったとき、その fusion も存在するが、ルイスとしてはそのfusionは可能世界になってほしくない。というのも、fusion も可能世界だとすると、それは可能世界同士の overlap を許すことになってしまうからである。
    2. ルイスの可能世界の基準とは何か?ルイスの定義では、xが可能世界であるとは、xは「時空的に関連した*2極大な全体*3」である*4。この定義によって、二つの可能世界のfusionは可能世界とはならない(異なる可能世界AとBのfusionを考えると、Aの点aとBの点bは連結ではない:もし二点が連結だったら、極大性よりaがBの点であるかbがAの点となってしまう)。
    3. では、宇宙にブラックホールのような物理的な孤立点があったら、それは関連しない点なのか?ルイスの答えは「違う」のようだ。ブラックホールはある時点まで宇宙のなかの連結した点であった。つまり、ブラックホールと宇宙の他の部分は、過去において連結しているので、連結した点であると見なされる*5。同様の理由で、インフレーション宇宙論における分岐宇宙同士もお互いに時空的に関連していると見なされる(ビックバンの瞬間を共有している)。
    4. 一般に、ルイスの枠組みでは、世界が分岐した場合、分岐した世界は可能世界とは見なされない(多分岐世界は複数世界ではない)。分岐した世界は共有部分を持つので、overlapにより必然性の問題がややこしくなるからである。例えば、インフレーション宇宙論の分岐宇宙全体を可能世界だと考えてみよう。その場合、「宇宙はビックバンで生まれた」という言明は必然的に真である。もちろん、この文が物理学的に必然に真であることを疑う人はいない。しかし、この文が形而上学的に必然的真であることを主張する人もいないだろう(形而上学的には定常宇宙も可能であるだろう:少なくとも、物理学的必然=形而上学的必然ということを無条件に仮定してよいとは誰も思わないだろう)。
  3. ルイスの counterparts theory について
    1. 可能世界意味論で形而上学的様相概念を解釈する場合、de dicto 様相(□∀xPx など)は、標準的な解釈で全く問題はない(「任意の可能世界で ∀xPx が真である」)。しかし、de re様相(∀x□Px など)の解釈に関しては問題が起こり、結局、ルイスは下記の counterpart theory を導入することで説明しようとした。
    2. リチャード・ニクソンは男であり、女であったらリチャード・ニクソンではない。リチャード・ニクソンはこのactual worldにしか存在しない。では、他の可能世界には「誰」が存在するのか?ここで登場するのが有名な counterparts である。つまり、「ニクソンが女であることは可能であった」というとき、ニクソンが女な可能世界が存在するのではない(なぜならニクソンはこの世界にのみ、それも男としてしか存在しないから)。ある可能世界が存在し、そこではこの世界のニクソンに相当する(十分よく似た) counterpart が存在し、それが女なのである。
    3. では、ニクソンニクソンのcounterpartが「十分よく似ている」という基準は何か。ルイスの答えは、結局、基準はその de re 様相文を発話した発話者と、その発話を聞く人の興味/関心に依存する、という至極もっともなものでした。
    4. 最近、ライプニッツの様相概念について、この counterpart に非常によく似ているという説が出てきたそうだ。ライプニッツ曰く、エデンの園でリンゴを食べたこともアダムがアダムであるために必要な条件であり、従って、リンゴを食べなかったアダムは存在しない(「束理論」ですね)。しかし、日常的に使う様相概念を説明するために「類としてのアダム」と言う概念を導入する。すなわち、リンゴを食べる以前の個別化される前のアダム、「あいまいなアダム」というものが存在する。そして蛇にリンゴを薦められた時点で、あいまいなアダムはリンゴを食べたアダムと、リンゴを食べなかったアダムと、二人のアダムに個別化(分岐)される。ポイントは、この二人のアダムは厳密な(それこそライプニッツの意味で)同一ではない、という点だ。ということで、この二人の(お互いに同一でない)アダムは、ルイスの理論でのcounterpartにあたる、そうだ。
    5. de re 様相について、とくに傾向性や法則性などについて、共通点が多いとそれが成り立つ度合いが高くなる、と日常的には思われている。counteropart理論は、そういう日常的な様相についての語法を説明する。

*1:K氏曰く、相手のミスをつくだけではなく、相手の主張を(ミスを修正して)もっとよいものに再構成した上で、それに反論するということが分析哲学の王道だそうで。

*2:"Parts and whole"でinterrelated をconnected であると同値と仮定していたりするので、「関係づけられる」は「連結である」と近い言葉かもしれない。

*3:maximal spatiotemporally interrelated whole

*4:「極大」の意味は、xは関係に関して閉じているということ:xの任意の部分同士を関係づけることができ、またxの任意の部分と関係がある部分もxの部分となる。

*5:グラハム・プリーストはそれに反対し、宇宙の中の孤立点を別の可能世界とすれば、この宇宙一つの中に可能世界が複数存在することになるので、様相実在論が一つの宇宙というこの枠組みで維持できる、と主張したとか。