"Reductive Theories of Modality" (Ted Sider) (8)

18時半より20時15分まで。今日からは新しく完成した校舎で。参加者は3人、4.2節。

  1. 「規約による真理」という考え方は多くの問題点を含んでおり、様相概念をこの考えに還元しようと言う限りにおいて拒否されるべきである。しかし一方で、規約主義の精神を受け継いだ還元も全て問題外、という訳ではない。
  2. C.I.ルイスは必然性と分析性を同一視し、クワインは必然性を論理的真理や証明可能性の一種と見なした。しかし、「彼らは形而上学的必然性を分析性に還元した」というのは不正確であろう。彼らは、現代的な意味での形而上学的必然性と呼ばれるだろうものを拒絶し、分析的必然性こそ(現代的形而上学的必然性に比べれば)まともな種類のものだと主張しただけである。必然性概念は、繰り返し再発明されてきたものであり、全てが同じものではない。
  3. 現在において必然性を分析性とみなす人はほとんどいない。必然性的に真であるが、いかなる意味で分析的に真となるのか不明な文は、数学やメレオロジーに存在する。また、似た例として、アプリオリに真であるが、分析的に真とは言えないものとしてクリプキやパトナム(水が H_2O)の例がある。
  4. また、必然性を分析性と見なす考えに対する最後の批判は、de re 様相を分析性としては解釈できない、というものである。
    1. \box\psi」を「\psiは分析的に真である」を表現していると考えよう。この場合、「\exists x\box\psi(x)」が真であることと、\box\psi(x)の x のoccurenceにある対象 o を割り当てる assignment に関して真となることが同値となる(「\forall x\box\psi(x)」の場合も同様)。
    2. 仮定より、「\box\psi(x)」が真であることは、「\psi(x)」が分析的であることと同値になる・・・しかし、「\psi(x)」が分析的になるってどういう意味なんだろうか。分析性は意味に関する関数であって、単に指示に関する関数ではないはずだ。しかし一方、(「\psi(x)」のような)openな文に関して、assignmentにおいて指示のみが与えられる。
    3. 従って、何かが間違っている。ここで、クリプキは分析性と様相性が別物であると論じた。また、クワインは、分析性と様相性を同一視した上で、 de re 様相は問題を持つと論じた。
  5. このように、伝統的な議論は問題がある。しかし、分析性と規約が依然として様相性の還元において重要な役割を果たすことはありうる。
    1. 論理的真理・分析的真理・数学的真理が規約によって真であるとは言わない。しかし、ぶっちゃけ、「論理的真理・分析的真理・数学的真理を『必然的に真である』と呼ぶ」という規約を定めることは可能だし、何の問題もない。
    2. 論理的真理・分析的真理・数学的真理がいかにして論理的真理・分析的真理・数学的真理とされているかについて、昔の人は「規約によってである」と答え、それが多くの難問を招いた。それらは言語的意味を仮定し、それが真理を生むと考えることで、必然性に関する形而上学的に謎な仮定が必要なくなる、と考えていたと思われる。
    3. われわれは、そうは答えない。それらがいかにして真理となるのかは問わず、ただ、それらが規約によって「必然的」と呼ばれる、というだけであり、言語的な意味のような謎なものを仮定しなくて済む、という利点を持つ。また、必然的真理はある種の規約に関する真理である、という主張をある程度キープできる。

終了後、h師の博士論文提出記念会、23時15分まで。