"Reductive Theories of Modality" (Ted Sider) (6)
19時より22時まで、参加者は4人、p.20-p.24第1パラグラフまで。
- Shalkowskiによる、ルイスの様相実在論への反論について。
- Shalkowskiは、我々の様相概念をちょうど反映する可能世界が実在するというためには、まさしく我々の様相概念が前提となっている必要があると論じる。そして様相実在論は、我々の様相概念を前提として様相概念を説明とする以上、様相性について循環的な説明しか提供していないと結論する。
- 前回のactualismのときの言葉遣いで言うと、
- Shalkowskiは、我々の持つ様相概念を前提とし、それをちょうど説明する説明(or モデル)を探している
- 一方、ルイスは、我々の持つ様相概念も阻却可能なものであると考えているようだ。様相実在論が我々の様相概念をちょうど説明できなくても、本質的な欠陥ではないと考えているらしい。
- 実際問題として、サイダーが指摘しているように、Shalkowskiの意味で循環的になるが、我々のほとんどが受け入れるようなタイプの分析というものも存在する。
- サイダー言うところの「真に還元的」で「実質的に適合している」ようなものであれば、Shalkowskiの言う意味で循環的な分析でも、誰も文句を言わないだろう。
- その例として、ある性質 F を、「すべて x は、 Fx ならば Gx である」と分析する場合をあげている。
- この分析は、もちろん F を G に還元する際に、Fx であることを前提とするので、この意味で F に関する我々の理解を前提としており、Shalkowskiの意味では循環的である。しかし、これが循環しているというのなら、一体どんな種類の分析が可能であるというのか。
- ルイスの counterpart theory に対する "The Humphrey objection" について
- ルイスの理論において、様相実在論には多くの反論があるが、それ以外の箇所にももちろん反論は存在する。例えば、counterpart theory に関するクリプキらの反論である。
- 1968年の大統領選で、民主党大統領候補のヒューバート・ハンフリー副大統領は、ジョンソン大統領への遠慮からかベトナム戦争非難を打ち出すことが遅れ、ベトナム戦争への厭戦気分にうまく迎合した共和党のニクソン候補に敗北した。さて、開票翌日に、ハンフリー候補がやけ酒をのみながら「ベトナム反戦をもっと早く訴えていれば、ニクソンに勝てたのに」とつぶやいたと考えてみよう。ルイスの様相実在論では、ハンフリーがニクソンに勝った可能世界は存在するものの、その世界の「ハンフリー」は決して自分ではなく、自分によく似た別の存在にすぎない。そういう人物が勝利したとしてもハンフリー自身の知ったことではないし、「勝利することが可能である」とき、勝利を収めるのは自分自身であるはずで、自分に似た他人ではない。この意味で、counterpart theoryは日常の「可能性」という言葉の用法に合致していないのではないか、という反論があり得る。
- しかし、これに対しては、日常的用法に反するからといってその分析が価値を持たない訳ではない、という再反論があり得る。サイダーが書くように、
Whether counterpart theory best fits these desiderata is something that must be settled on the basis of a philosophical investigation into its merits and the merits of competing theories; counterpart theory should not be dismissed out of hand simply because of the intuitions behind the Humphrey objection.
あまり関係ないけれど
SFなどでよく可能世界の話が出てくるけれど、ルイスの可能世界はそれとはだいぶ違う、という話も出た。ルイスの様相実在論では