"Multiple conclusion" (Greg Restall)

Logic, Methodology and Philosophy of Science: Proceedings of the Twelfth International Congress, pp.189-205. 原稿は著者のページから取得可能。この論文、読み終わったのは帰国する飛行機の中だったんですが、感想を書くヒマがなかったもので。
「証明論的意味論」というと、自然演繹 (natural deduction) を反射的に思い浮かべてしまいますが、でも、論理学の現場では自然演繹よりも列計算 (sequent calculus) の方が一般的です。自然演繹の場合、導き出される結論は基本的に一つ(でそれが樹状に結合する)ですが、列計算の場合は複数の結論があります( A, B, C \vdash D, E, F みたいに)。この違いは、論理的帰結関係の分析という視点から見た場合、本質的なんでしょうか。この点に答えようとするのが本論文の目的です。

  • この論文では、ある文の「否定を主張 (negate)」することと、それを「却下する (reject)」ことは概念として違う、という点からスタートします。そして、[ A, B, C : D, E, F] を、「A, B, Cの全てを主張し、D, E, F の全てを却下する」と読みます(ここで、[ ¬A : A] を考えると、¬A を主張することと、Aを却下することは異なるため、両者は異なる主張となります)。ちなみに、[ A, B, C : D, E, F] は state と呼ばれます。
  • さて、このとき、主張によっては、A, B, Cを主張しておきながら、 DもEもFも否定したら、整合的でない(incoherent)と言うケースがあり得ます。その場合、 A, B, C \vdash D, E, F と書きます。
  • 論理的帰結関係を記述する場合、A→Bを 「Aを主張すると、必然的にBに同意せざるを得ない」とか書くことがよくありますが、これだと主張として強すぎることがある、と著者は主張します。列計算のmultiple consequenceならば、「整合的でない」と主張することで穏健な主張になるそうです。
  • で、ここまで読むと、「整合的」て何やねんとか、論理的帰結関係と真理の関係とか、いろいろな疑問がわいてくると思います。ただし、著者はそういう疑問に答えることは本論文の任務ではない、と主張します。本論文の任務は、どちらかというと、タルスキ流「論理的帰結関係は真理の保存だ」主義者にも推論主義者にも皆が同意可能な、列計算を擁護するための統一的な議論の枠組みを提供することにあるようです。つまり、タルスキ流の立場の人はモデルにおける真理値の言葉で「整合的とは何か」を説明するはずですし、推論主義者なら別の仕方で「整合性」を説明するでしょう。でも、どちらも、「整合性」というアイディアを経由することで列計算を擁護することが出来るわけです。
  • で、こういう統一的な視点を得ることの利点は、多様な非古典論理に関する異なる哲学的立場を、同じ列計算という枠組みにおいて議論することが出来る点です。例えば、著者はTennantによる直観主義擁護の議論(列計算の右側に結論が一つしか許さないのが正しい)を検討し、根拠が薄いと結論しています。

面白い論文でした。個人的に、論理学の哲学に関して、こういう議論の共通の基盤を提供するという試みは、非常に有益だと思います(発話行為がどうとかいう分析の正しさは、私には分かりません)。興味のある方は氏のBlogで続いているIan Rumfittによる反論についての議論なども、併せてお読みください。また、Ole Hjortland氏によるスライドも、わかりやすいと思います。