「標準的自然数の定義」占い

かがみさん(こちらの3月24日付)のところで話題になっていた話に触発されて。「標準的自然数とは何か」と言う質問にどう答えるかで、その人の人となりが分かるような気がするんです。長くなりそうなのでこちらで論じさせていただきます。…といっても、結構ややこしい話なんですよね。

「標準的自然数はモデル相対的な概念だ」と思うあなた

あなたは、伝統的な数理論理学のカリキュラムで教育を受けてこられたに違いありません。つまり、一階古典論理上で自然数論や集合論を、そのモデルを通して学ばれたのだろうと思います。さて、ある程度の強さの算術が展開可能な一階古典論理再帰的な公理系Tは、「範疇性(categoricity)」を持ちません。つまり、TのあるモデルM1, M2が存在して、M1とM2が同型とはなりません。証明として一番簡単なのはLowenheim-Skolemの定理を使うことです*1。他に、算術のケースではM1がPAの標準モデル、M2がPA+¬con(PA)のモデルを取るケースを考えると、この場合、M2は「¬con(PA)」の証明に相当する超準的自然数を持つため、順序構造が同型になりません。
この場合、自然数の標準性とはモデル相対的であり、標準数とはM1にもM2にも入っている元、超準数とはM2の元だがM1には入っていない元のことを言います。通常は、M1のモデルの中でM2を構成する、なんて操作を行います。つまり、M1をモデルとする理論をメタ理論としてM2を構成し、M1の意味(メタ理論の意味)で自然数ではない数もM2の意味では自然数なので、それを「超準数」と呼ぶわけです。この意味で、かがみさんのところのBBSでてなさくさんが書かれていたとおり、「メタ理論の自然数が標準的自然数だ」ということになります。
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「標準的自然数でなければ自然数と呼ぶ価値がない」と思うあなた

あなたは、最近の数学の哲学、特に構造主義の影響を受けておられるに違いありません。上では、自然数論の範疇性が一階古典論理では成立しないことを示しましたが、それ以外の論理では話が違ってきます。例えば、もともと範疇性とはデデキント自然数構造の定義をする際に使ったの概念なのですがデデキント自身の自然数論の範疇性の「証明」は、2階古典論理上で定式化されることが知られています。というわけで、例えば、算術PA2(PAの二階論理版)を考えると、範疇性が成立するのです。
「範疇性」が成立する場合、自然数はどのようにコーディングされようが、例えば集合論風に0, {0}, {0,{0}}, {0,{0},{0,{0}}}, ... とコーディングしようが、計算機風に 0, suc(0), suc(suc (0)), suc(suc(suc(0))),…とコーディングしようが、結局は同型な構造をなします。その構造を「唯一の自然数構造」とでも呼びましょう。その意味で、「標準的自然数とは、唯一の自然数構造のメンバーが何らかの仕方でコーディングされて表現されているもの」ということになります。
多くの哲学者は、自然数の超準モデルを、文字通り「普通でないもの」、すなわち我々が持つ自然数概念から見ておかしい、まがい物であると見なします。そして、人間の持つ自然数概念は範疇性が必要だと考えるわけです。そこで一階論理上のPAが超準的自然数を排除しきれない(範疇性が示せない)ことは「一階論理は力不足なので自然数構造をちゃんと捉え切れていない」ことの証拠であり、「真の自然数概念」は二階の概念であると結論します。
ただし、二階論理の使用に関して、古くはクワインが「二階の論理はもはや論理とは言えない(これは偽装した集合論だ)」と反論したこともあり、本当に人間の自然数概念の説明に二階論理の使用が正当化できるのか微妙なところではあります。実際、古典二階論理でvalidな文の集合は、集合論\Pi_2-completeになるという結果があるとかで、Vaananenは「古典二階論理は集合論の weak fragment である」と言っており、ますます両者は似た存在だ判明しつつあります。そういう視点からすると、二階古典論理を使用して自然数論を展開することは、一階古典論理上でZFC集合論を展開し、その階層ωまでの所を切り出して「これが自然数論だ」と言うに似た、牛刀をもって鶏頭を切るような話ではないかとも思ったりもします。
さて、では不完全性と二階古典論理の関係は?はい、こちらこちら(特にPeter Smithのコメント)なんかを是非ご覧ください。このことは「古典二階論理は一階古典論理上の再帰的な公理系では公理化不可能(不完全)である」ことを意味する。
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*1:全ての超準数が「¬con(PA)」のような独立命題の証明に相当する必要性は全くありません。ちなみに、この場合、Tの強さは、領域に無限個の対象が存在することが証明さえできれば、それで十分です。