ラッセルのパラドックス:傾向と対策 (3.1.2) : グリシン論理 (2)

さて、前回はグリシン論理上包括原理を持つ体系 GS の良い点、特に自己言及的集合の楽園であることをご紹介いたしました。今回は、GSの問題点についてご紹介いたします。

  1. 外延性公理を仮定すると矛盾(ラッセル・パラドックス経由!)が導かれてしまう:外延性を満たさないので、GS で定義される {x:P(x)} が「集合」の名に値するか疑問が残る
  2. 古典的解析学や算術が十分に展開できない(っぽい)
  3. 古典論理のタルスキ意味論に匹敵するような、わかりやすい意味論を持たない

今回は、外延性公理についての紹介をいたしましょう。

外延性公理とは

どんなものでも、「対象」と呼ばれる以上、同一性関係がきっちりと決まっている必要があります。集合に関する同一性関係としてよく知られている関係は、以下の二つです。

  1. ライプニッツ同一性(不可識別者同一性) a=b ⇔ (∀x)[a∈x⇔b∈x]  :「a と b を区別することができる集合 x *1は存在しない」
  2. 外延的同一性  a=ext b ⇔ (∀x)[x∈a⇔x∈b]  :「a と b は同じ要素から構成されている」

上で定義した二種類の同一性関係についてですが、x=ext y かどうかをチェックする場合、xとy の構成要素だけを比べてみればよいので、簡単に判定できます。しかし、ライプニッツ同一性の場合は、集合論の宇宙すべてを探しまわって、xとyを区別できる集合が存在するかどうかを探さなければならないわけです。そのため、両者に大きな違いがありそうだということは想像できます。
(GSをはじめとして、大抵の集合論では)以下が成立します。

  • ライプニッツの法則*2は、ライプニッツ同一性について成立します。しかし、外延的同一性について成立する保証はありません。
  • 実際、a=bならばa=ext bが成立します。しかし逆が成立する保証はありません。

しかし、a=ext b であっても a≠bであるような集合 aとbは、対象の「あつまり」としては同一であっても、別の対象としてカウントされてしまいます。カントール以来、集合とは「確定的な対象のあつまり」であり、対象のあつまりなので、どんな要素を含んでいるかことのみが問題であると考えられてきました。その意味で、a=ext b かつ a≠b を満たすような a,b は「あつまり」っぽくないのではないのか。ということで、そのような集合が存在しないことを保証する公理が外延性公理です。

外延性公理: (∀x,y) [x=ext y ⇒ x=y]

この公理は、「集合は、その要素によってのみ決定される」ことを主張します。

フレーゲの abstraction principle による外延性公理の意義付け

さて、フレーゲ集合論において、この外延性公理は重要な役割を果たしています*3
フレーゲにおける対象 a と b の同一性の基準は以下の通りのものです。

(abstraction principle)  Σ(a)=Σ(b) ⇔ a〜b

ただし Σ は存在者(entities)から対象のタイプへの関数で、〜は a,b のタイプの間の同値関係です。数学において抽象的なタイプ Σ(a) を 対象 a から定義する場合は、必ず上の原理を満たさなければならない、とフレーゲは主張しました。有名なのは
  (方向の同一性) [直線 a の方向 = 直線 b の方向] ⇔[直線 a と b が平行である]
という例で、ここでは「平行関係」という既に知られた性質(直線の平行関係)を使って、「直線の方向」という新しい概念を定義しています。
フレーゲが新概念「集合」を導入した場合の定義が、まさしくこの原理を使い

公理(V) (∀P(x), Q(x))[( {x:P(x)}={x:Q(x)} ) ⇔ (∀y)( P(y)⇔ Q(y) )]

となっています(明らかに外延性公理と同値ですね)。つまり外延性公理とは、

  • ものが「対象」と呼ばれる以上、それについて同一性関係がきっちり決まっている必要があり、
  • そしてその新しい対象を導入する際には、その新しい対象間の同一性関係が、既に知られている方法で定義されなければならない、

という前提の下、

  • 集合は集合の「集まり」である:従って、全ての集合に関して P(x) と Q(x) が同値であるならば、PとQによって定義される集合も同一視される(対象に関して論理式同士が同値ならば、集合同士も同一にならなければならない)、

という考え方に基づいてい導入されました。
補足ですが、古典論理上でラッセル・パラドックスが発見された後、試行錯誤の末、フレーゲは包括原理は保持しつつ、この公理(V)こそパラドックスの原因である、という考えに到達していたようです。古典論理の下では、外延性は矛盾の導出とは関係ありませんが。しかし、グリシン論理上では包括原理は保持できるがその場合は外延性公理を保持できない、という点は、奇妙にフレーゲの考えとパラレルになっています。Myhilが「フレーゲのアイディアをまじめに受けるならば、包括原理を持つ集合論のことをもっとまじめに考察すべきだ」と言っていたことを思い出させます。
もう一つ補足、グリシン論理上で外延性公理が矛盾するため、フレーゲの路線を貫くつもりならば、abstraction principle に乗っ取った別の同一性定義を導入しなければなりません。が、いくつか研究はありますが、誰も成功していません。もしかしたらabstraction pricniple に沿った定義は、本質的に無理なのかも。

*1:x は a∈x かつ ?(b∈x) を満たす集合である

*2:a=b⇒[P(a)⇔P(b)] が任意のR(x)に成り立つ

*3:Abstraction and set theory. Bob Hale. Notre Dame Journal of Formal Logic, vol 41(4), pp.379-398 (2000)とか参照