ラッセルのパラドックス:傾向と対策 (3.4.1.1):  John Myhillの "Paradoxes" (1)

皆様、いかがお過ごしでしょうか。ラッセルのパラドックスについて、ZFCなどの公理的集合論以外の解決法をいろいろ紹介しようというこのシリーズ、第三シリーズは論理を制約することでラッセルのパラドックスを解決しようという方法を紹介しています。前回で多値論理や縮約規則のない論理といった比較的メジャーな解決法の紹介も終わり、今回からはもっとマイナーな(というとおこられるかもしれませんが)Fitchによって始められた証明図の形に注目するアプローチについてご紹介したいと思います。
といっても、今回はその導入ということで、Fitchのアイディアを John Myhill が発展させた The "enterprise" solution についてご紹介したいと思います。この話は、彼の論文 "Paradoxes" *1 に掲載されています(1984年って、結構新しいですね)。これは私の好きな論文の一つということもあるので、内容をくわしく紹介していきたいと思います。

Paradoxes of Property theory

さて、最初に Myhill によるラッセルのパラドックスの分析を見てみましょう。
ゲーデルの有名な台詞に 「集合論パラドックスなんてものは存在したことがないが、しかし『性質の理論』のパラドックスは未だに解決されていない」

There never were any set-theoretic paradoxes, but the property-theoretic paradoxes are still unresolved.

というのがあります(Myhill自身もゲーデルから直接聞かされたとか)。どういうことかというと、

フレーゲの原理:自由変数を一つ持つ任意の論理式 p(x) は、必ず一つの「性質」(もしくは集合)P を定め、任意の対象 a について、p(a)が成立することと、aが性質Pを満たすことが同値となる。

ちなみにこの場合、論理式 a∈P は「aは性質 P を満たす」と読むべきでしょう。

  • 従って、もし我々がフレーゲの原理を真剣に取るならば、我々は古典論理以外の論理の研究を始める必要がある。

So if we want to take Frege's principle seriously, we must begin to look at some kind of nonclassical logic.

という理由で、Myhillは非古典論理+包括原理という体系の研究を正当化します。包括原理を持つ体系は、集合論としてではなく、Property theoryの体系だと見なされるべき、とも言えるかもしれません。
1984年というと、Boolosの二階算術によるフレーゲ算術の導出より少し前にあたります。Myhillのやり方は、おそらくフレーゲの研究をされている人たちは不満を持つだろうと思いますし、また「性質=外延」を強調し非古典論理の導入を正当化する立場はNeo-Fregean に無視され、結局マイナーなままに留まりました。しかし一方で、Uwe Petersenなど、非古典論理での包括原理の研究をする一派の間では、古典的論文となっています。
どなたかフレーゲに詳しい方、Myhill流のアプローチはフレーゲ研究(もしくはNeo-Fregean)の立場から見てどう見えるのか、ご意見をいただければ幸いです。

解決法の沿革と言語の定義

さて、この論文で Myhill が構成するのは、Fitchの "An extension of Basic Logic" の線に沿った解決法で、真理値ギャップを許す非古典論理(→の導入ルールが特殊)に包括原理を持つ集合論を導入します。実際には

  • まず真理値ギャップを許す意味論を(帰納的定義が可能な体系で)構成し(ラッセルのパラドックスや嘘つきのパラドックスは真理値ギャップによって解決する)、
  • それを形式化した体系(→をもたない、自然演繹の切片)を導入し、
  • カリーのパラドックスがおこらないように、階層化された→を導入する
  • その導入された形式体系は、証明図の中に現れる→の個数に関する分析となっている

という手順になります。御託はいいので、早速この理論の言語の紹介から始めましょう。

さて、言語の項(Term)は

  • 変数は項、
  • 論理式(後述) P(x) に対して { x : P(x)} は項

であり、これらの項から論理式を以下のように定義できます。

  • s, t が項ならば s∈t は項、
  • s, t が項ならば s=t は項、

もちろん、これらは原子論理式みたいなもので、あとで論理結合子 ∧ (かつ)、¬(否定)、∀(任意)を意味論的に導入します。

真理値ギャップを認める意味論の構成

次に意味論を定義します。論理式の二つの subclass、"true"と"false"を以下のように帰納的に構成していきます。

  • 項 s と t が文字通り同じ表現であるとき(そしてそのときに限り) 文 s=t はtrue、そうでないとき s=t はFalse(従って、この理論は全く外延的でないことになります)。
  • 文 A,B が true ならば、文 A∧B も true、それ以外の場合は A∧B はfalse
  • 文 ¬A(否定記号)が true (false)なのは Aがfalse (true) のとき
  • (∀ x)A(x)がtrueなのは、その任意のclosed instanceがtrueであるときであり、それ以外ならfalseである
  • s∈{x:A(x)}の真理値は、A(s)の真理値と同じとする

というわけで、このように論理式の複雑さに関して帰納的に定義していきます。

この場合、構成の仕方から言って

  • 任意の文は、trueでありかつfalseということはあり得ない。
  • ラッセルのパラドックスを起こす文 R∈R (ただしR={x: ¬(x∈x)})は、trueでもなくfalseでもない(真理値が定められない)。注意だが、後で紹介する→導入ルールにより、R∈R→¬(R∈R) に対応する文は真となる。

このように、この意味論は真理値ギャップの存在を許します。後で、自然数論が展開可能になるように理論を拡張しますが、拡張された体系では嘘つきパラドックスなども同様に処理できることを(Postscriptで)示しています。また、そこではゲーデル文や自然数論の無矛盾性も真偽が定められない文となるようです。

さて、上記の構成法を見ると、Kripkeの真理論を思い出す方も多いかもしれません。実際、MyhillはKripkeに言及し、この理論はKripkeの真理論とよく似ているが、それよりもよりよいものであると主張しています(後で出てきますが、この体系では、体系内でパラドックスのレベルや導出関係などを語ることができ、それがアドバンテージとなるそうです)。

次回は

この意味論を形式化した体系 K' および K0 を導入します。

*1:Synthese 60 (1984) pp.129-143