ラッセルのパラドックス:傾向と対策 (3.2.1) : クリーネ3値論理・・・お手軽に不動点を

まず最初に、クリーネの3値論理をご紹介しましょう。

  1. これは真理値として 真(t)、偽(f)、不定(i)の三つを持ちます。
  2. 論理結合子に関して、以下の二つの例を紹介しましょう。
    1. 否定 ¬ に関して
      1. A が t (f) ならば ¬A は f (t):古典論理と同じ
      2. A が i ならば ¬A は i
    2. A→Bに関して、
      1. A, B が t,f の場合は古典論理と同じ
      2. Aが i のとき
        • Bが t ならば A→B は t
        • それ以外の場合 A→B はi

となります。述語論理に関しては、古典論理と同じく上界をとります。
さて、クリーネ3値論理上包括原理を持つ集合論 K3C を考えましょう。この集合論は、ラッセル・パラドックスに関して

  1. R∈R の真理値は i
  2. もちろん ¬(R∈R) の真理値も i
  3. 従ってラッセル・パラドックスの推論 R∈R→¬(R∈R) の推論も i

という結論を導出します。つまり、ラッセル・パラドックスは、 R∈R の真理値が t でも f でもないことを証明するだけで、決して矛盾の導出をしている訳ではないということです。

クリーネ3値論理の形式化

さて、このクリーネ3値論理ですが、二種類のオペレーター ?, ! を使用してゲンツェン流の列計算に書き直すことができます。その列計算はジラードによる 3LK*1 というものですが、直感的には

  • ?A は「A の真理値が f ではない(t もしくは i である)」
  • !A は「A の真理値が t である」

ということを表します。ジラードは3LKに、自然数上の包括原理を足した二階算術の体系を考え、Takeuti's conjecture 関連の定理の証明に利用しています。
さて、この体系の特徴は

  1. 全ての文にオペレーターがついている(その意味で古典論理と直接は比較できない)
  2. 縮約規則は ?A, !A の形のどちらの論理式にも適用できる
  3. しかし !(A→A) を証明できない(つまり A→A の真理値が t でない場合がおこる)
  4. さらに、 ?(A→B) と ?A があっても、 ?B を証明できない

という点です。つまり、A→A の真理値が t でないという点において、クリーネ3値論理は古典論理の始式(A→A)に制限を加えた体系と言えなくもありません。そして、古典論理に各種オペレーターを持ち込んで証明論的に分析を行うという点で、3LKは線形論理の先駆けと言える存在かと思われます。

クリーネ3値論理上の集合論のモデル

さて、この体系の「モデル」を考える前に、ジラードに倣って、以下の定義を行います。

クリーネ3値論理のモデル M が体系 T のモデルであるとは、Tの任意の公理 P に対して、ξP が成立する*2場合を言う。

さて、K3C が無矛盾であることは、以下のモデルを考えれば明らかです。

任意の集合 a, b に関して、a∈b の真理値は i となる。

このモデルでは、ライプニッツ等号 a=b の真理値も i となり、全ての論理式の真理値が i となります。つまり、全ての質問に「わからない」と答えておけば、矛盾することはないということを表している("Know Nothing" Model)、というわけです。
注意ですが、この体系は全て論理式の縮約を許すので、「縮約規則のみがラッセル・パラドックスを導く」という言い方は、LK3 の意味では間違いである、ということです*3。もちろん、3LKはオペレーターξ, ! を持つ式に関しての縮約規則なので、古典論理における縮約規則と直接に比較できる訳ではなく、注意が必要です。

真理値の不動点

A→A が真とはならない可能性がある点で、クリーネ3値論理は「現実面からかけ離れた論理である」と思われるかもしれません。しかしこの論理は根強い人気を誇り、時々哲学などで登場します。その理由は、上の Know Nothing model のように、真理関数の不動点を簡単に提供できる点です。
多値論理によるラッセル・パラドックスの解決のポイントは

  1. R∈R の真理値は、否定 ¬ を表す真理関数(y=1-x)の不動点になる
  2. 言い換えると、R∈R の真理値を r とすると、r=1-r が成立する

という点です。クリーネ3値論理では、真理値が i であれば、否定に限らず「ならば」 → などのどんな導出を行っても、その真理値は i のままとなり、その意味で非常にお手軽に真理関数の不動点を手に入れることができます。この「不動点が大切」という点は、Gupta とBelnap が "Revision theory of Truth" において力説した点でもあります*4。Gupta-Belnap はクリーネ3値論理を実例として使っているので、そのおかげでこの論理は有名になりました。
ちなみに、次回取り上げますが、Lukasiewicz 3値論理は、否定に関しての不動点は提供でき、そのおかげでラッセル・パラドックスはクリアすることができます。しかし、「ならば」 → についての不動点を提供できないため、包括原理を仮定すると、ラッセパラドックスとよく似た矛盾(Moh Shaw-Kweiのパラドックス)を導出し、矛盾を導いてしまいます。不動点を得るためには無限値([0,1]区間の実数値)まで拡張する必要があります。

クリーネ3値論理は「論理」なの?不動点を得られればいいの?

お手軽に不動点を得ることができるクリーネ3値論理ですが、しかし問題点があります。

  • 以前も取り上げたように、「論理」と名のつく体系ならば A→A ぐらいは真とすべきなのでは。これはLukasiewicz らの主張です。おそらく、多くの人が同意するのではないでしょうか。
  • ラッセル・パラドックスの話題に限っても、古典論理は「包括原理が悪い」といい、グリシン論理は「推論 R∈R→¬(R∈R) は真であり、R∈Rの真理値が確定的だと考えるからおかしい」と指摘します。しかしクリーネ3値の場合、R∈Rの真理値も推論「R∈R→¬(R∈R)」も真にはなりません。つまり、ラッセル・パラドックスのどこに問題があったのか、よくわかりません。
  • 実際、クリーネ3値では、単にラッセル・パラドックスが矛盾が導出しない、というだけのように見えます。R∈Rの真理値も、推論の真理値も、全部「よくわからない」の一言ですませてしまうのは、果たしてラッセル・パラドックスの分析をしていることになるのでしょうか。ちょっと安易に見えます*5

パラドックスの矛盾を解決するということは、単に矛盾が出ないようにシステムをいじればよいというだけではなく、そうすることで元の体系へのいっそうの理解を深めることができなければならない(古典論理における包括原理の分解、グリシン論理における縮約規則の分析、etc.)と思います。その意味で、クリーネ3値論理による解決は、お手軽に不動点を得られるという点だけが使用されており、安直である(もしくは、少なくとも今の段階ではまだまだ分析が十分されていない)ように思われます。
クリーネ3値論理は、もともとクリーネが自然数上の帰納的関数を扱う際に、部分的帰納関数がまだ値が定義されていない場所で、どのような値をとるかを表現するために考案されました。その意味で、元々ラッセル・パラドックスとは関係がない体系であり、直接応用するには、多少無理があると思われます。

「真の曖昧性を表現する論理」?

ラッセル・パラドックスとは関係がない余談ですが、以上のような点で、クリーネ3値論理は、真理値 i の式は大抵の論理操作を行っても真理値は i のままです。ですので、Michael Tye*6 や吉満昭宏*7氏は、クリーネ3値論理こそ「真の曖昧性を表現する」論理だ、これなら曖昧述語の持つ境目欠如性を表現できる、と主張されているようです。
ラッセル・パラドックスについてと同様、私は、Tyeらの曖昧性に関する主張に対しては、

  • 「真の曖昧さ」って、真理関数で表現できるようなものだったのか、という疑問がわきます。context updateとの関連は?
  • また、ラッセル・パラドックスの場合と同じく、クリーネ3値論理で曖昧性を表現することは、何の分析にもならないように思えます。
  • もちろん、「A→A が真とはならない点こそ、Aが曖昧な命題であるということの本質なのだ」と主張するなら別ですが*8、そういう議論を見たことがないです。

という疑問を持っています。

*1:Proof Theory and Logical Complexity, section 3.3

*2:つまり M(P)=t or M(P)=u が成立する

*3:前回まで書いていたことは、「古典論理から縮約規則を除去したらラッセル・パラドックスは矛盾を導出しない」という意味で「縮約規則がラッセル・パラドックスを導く上で必要である」と言っていたのであって、そこの点はお間違いのなきよう。

*4:注意として、Kripkeの「monotone operatorの最大不動点」という意味の不動点とは大きく違う、という点があります。時々間違える人がいます。

*5:もちろん「R∈R→R∈R を仮定するからいけないのだ」と分析を進めるなら別ですが、そこまで踏み込んだ分析を見たことがないです。

*6:Sorites paradox and the semantics of vagueness

*7:一番手に入りやすいのは講談社選書メチエ「論理の哲学」所収の氏の論文でしょうか

*8:それはそれで面白そうな議論が展開できるきっかけとなるかもしれませんが、一方で、ガチでこういう主張をする人は見たことがないし、なかなか受け入れられないだろうとは思います。