ラッセルのパラドックス:傾向と対策 (3.2) : 多値論理

みなさま、いかがお過ごしでしょうか。ラッセル・パラドックスを解決するためのあまり知られていない方法を紹介しようというこの企画、前回はパラドックスの解決のため古典論理を制限しようと言う "Restriction of logic" 方式で、証明論的に古典論理を弱く制限するグリシン論理上の包括原理がある集合論などを取り上げました。
前回からだいぶ時間があいてしまいましたが、今回は、古典論理を制限するという点では同じですが、意味論的手法で制限を加えようという多値論理のやり方を取り上げます。

多値論理とは

伝統的な言い方では、意味論を考えるとき、

  • 真理値として「真」「偽」以外のものを持つ(通常は真理値は3個以上で可算無限個もしくは実数個以下)
  • 命題論理に関して、複合文の真理値の決め方*1は真理関数的(有限値の場合表で書け、無限値の場合は簡単な関数で表記できる)である
  • また大抵の場合、真理値が「真」「偽」の文のみで構成される複合文の真理値の計算法は、古典論理と一致する

という条件を満たすものが、多値論理と呼ばれます。
ですが、問題があって、

  • 「多値論理」と呼ばれる体系は、とにかくたくさんの種類があります。3値論理だけで何種類あったことか。
    • それらの体系同士の間には、「真理値の個数」以外の共通点があまりないように思われます。例えば、真理値の順序について、ファジイ論理では真理値は線形に並んでいますが、線形になっていない例も多いです(有名なのは4値論理で格子状の順序になっているものとか)。お互いの間の論理的な関係もよくわかりません。
    • 実際、多くの多値論理の体系同士は全く相反したコンセプトに基づいており、「真」「偽」以外の真理値が何を表現するのかと言った点について、全く同意がありません。
  • もうちょっと「哲学的」な問題として、「真」「偽」以外の真理値が何を意味しているのか、よくわからない、という問題があります。
    • さらに「哲学的」な問題として、曖昧性の表現についての問題があります。多値論理で「真」「偽」以外の真理値は曖昧な状態を表現する、と考えられることが多いですが、一方でそれらの真理値は確定的で、全然曖昧ではないという非難があります。
    • 場合によっては「多値論理は二値原理に根ざしている」(ダメット)とか非難を受けることもあります。

この企画では、

  1. まず最初に多値論理によるラッセル・パラドックス回避の実例(クリーネ3値論理/ウカシェーヴィチ無限値述語論理/その他のファジイ論理)を紹介し、
  2. 次にそれらの真理値が何を意味しているかを考察する("the designated value" v.s. "the comparative conception of truth")

という方法で話を進めていきたいと思います。

*1:古典論理における「A,Bが両方真⇔A∧Bが真」みたいな論理結合子を使って作られた文の真理値の決定法