"The Liar in Context" (Michael Glanzberg)

Philosophical Studies vol.103 (2001), pp217-251. 8月に東京で M 氏から紹介してもらった論文。著者のページはこちら、pdfファイルはこちら

嘘つきパラドックスの文脈主義的解決

各種の解決法があるが、古典論理の下でも文脈主義的な解釈を加えることで、解決しようというのがこの論文。つまり、文「この文は嘘である」を l とすると、

  1. 文 l は、「文 l が嘘である」という文脈では真となる
  2. 逆に、文 l は、「文 l が真である」という文脈では嘘である

と、文 l の真偽は文脈に依存する、と主張する。
問題は、通常の「文脈依存」な文(たとえば「これはペンです」)は indexical term 「これ」を含んでいるが、嘘つき文は indexical のような、明らかに文脈依存をするような語を全く含んでいないことである*1。では、なぜわざわざ文脈依存な真理の一例と考えるのか。その理由として、著者は以下のように書いている。

  • The behavior the Liar Sentence exhibits it just the kind of behavior we expect from certain sorts of context-depending sentences. (p.230, 22行-)
  • We have seen that the Liar sentence behaves in just this way. Thus, we are forced to conclude that this sentence exhibits some aspect of context-dependence. (同 30行-)

つまり「文脈依存っぽく振る舞っているように見えるから、嘘つき文の真偽は文脈に依存すると結論するよう迫られる」・・・ってヲイ。理由はそれだけか。

Truth bearer としての命題と文脈の関係

この論文で、著者はこれまでの嘘つきパラドックスの分析(「自己言及が諸悪の根源」等)では、どんな文にも真偽を決める「真偽の担い手」(truth bearer) があるはずという視点が抜け落ちていたと批判している。「文脈」も truth bearer の一種と考えているようだ。では、truth bearer って何だろうか?著者は、文脈依存的真理を考える場合、文は truth bearer になり得ない(文の真偽は文脈によって変化するから)ので、命題を truth bearer だと考える。そして

We can at least conclude that the features of truth bearers -propositions - that our theory must address to avoid the Paradox must include something about the relation of propositions to context. (p231, 下から7行)

それで III 章では、stalnaker 流の可能世界意味論の流儀で命題=可能世界の集合と考えてみて、命題と文脈の関係を考察しようとして、大きな困難がある*2ことを論じる。またIV章では、世界が増えていると仮定しても、semantic anti-realisim とは中立的であることを主張している。
結局Glanzbergは「文脈が変化するというけど、ではその文脈とは何か」という問いにちゃんと答えているとはいいがたい。私は、可能世界による解釈ではなく、もっと証明論的意味論に沿ったアプローチの方が有益であると思う。

*1:もちろん「この文は嘘である」という形式化ならば indexical「この」を含んでいるけれど、ゲーデル数化などを通して indexical を全く含まない形で述べることもできる。

*2:嘘つき文は、最初は偽なる文だったものが、文脈の変化により真なる文(つまり命題)に変化する。つまり、文脈が変化するごとに「可能世界が増える」と解釈せねばならなくなる。