ラッセルのパラドックス:傾向と対策 (1.5) : NFと自己言及性に関する補足

ラッセル・パラドックスの解決法というとZFが有名ですが、他にもマイナーな解決法がいろいろあります。せっかくなのでそれらを紹介しようというこのシリーズ、前回はRestriction of basic principles に分類される解決法をご紹介いたしました。 今回は、時間も遅いことですし、少し予定を変更して、これら集合論における「自己言及性」の位置づけ等について補足をしたいと思います(型理論の話は明日)。

さて、ラッセル・パラドックスを起こしたフレーゲ集合論

  • 古典論理上で
  • 同一性の条件として外延性公理を持ち
  • 集合の存在保証原理として包括原理を持つ

ものでした。ラッセル・パラドックスの導出においては、古典論理上(直観主義論理上でも:第3回参照)では外延性公理は必要なく、包括原理のみが必要です。

嘘つき、ラッセル・パラドックス、悪循環

  1. ラッセル・パラドックスは、嘘つきパラドックスと全く同じ構造を持っています*1。その不可欠の要素は自己言及性で、否定と組み合わせることで「悪循環」*2を作り出します。この悪循環は、古典論理において矛盾を導出します。
  2. もし古典論理を保持するのであれば、悪循環を排除しなければならないわけです。ラッセル集合の定義には自己言及が不可欠で、包括原理はそのような自己言及性を許します。という訳で、
    • 包括原理を排除すして、代わりに階層的な集合の定義法(反復的集合観)を導入したのが Restriction of basic principlesに分類される集合論です。
    • 包括原理は保持するが、?(x∈x) のような悪循環を導く論理式には包括原理を適用できなくしよう、というのが Restriction of syntax に分類される解決法です。典型的なのは言語に型を導入することで自己言及性を排除するやり方ですが、それ以外のやり方もあります。

NFの位置付けについて

  1. Restriction of basic principles と Restriction of syntax の違いは、公理の中から包括原理がなくなっているか、それとも包括原理は公理図式として保持したまま一方で原理の適用範囲を構文論的なルールで規制しているのか、という点にあると私は思っています。この点で、NFも Restriction of syntax に分類できるのではないかと思います(NFはstratifiedでない論理式に包括原理の適用を拒否する)。
  2. ただし、id:wd0さんのいわれるように、NFをRestriction of basic principles に分類することも、可能なような気がします。何よりも、NFUの場合、形式化は包括原理ではなく、ZF流の公理化(包括原理ではなく特定の形をした公理によって行う)で行われ、stratified formulaeに対する包括原理は定理として成立します。このNFUだけでも Restriction of basic principles に分類すべきかもしれません。

自己言及性

  1. しかし、自己言及性は重要な現象で、それ自身にうさんくさい点はありません。別に「○ーデル問題」とかは関係なく、例えば計算機科学における重要性については「自己言及の論理と計算」(長谷川真人)などをご覧ください。また時々ネット上で「自己言及性は矛盾を導く」という誤った表現を見かけますが、たとえ古典論理の上であっても、それは誤解です。例えば、Truth teller*3こと「この文は本当である」は、矛盾を導きません。
  2. ZFCのやり方は、このような「よい循環」まで排除してしまいます。ということで、ラッセル集合は排除しつつ、問題を起こさない自己言及的集合は認める、という集合論がいくつか提案されてきました。その一つが、Aczelによって提案されたZFAです。
    • 前回例に出した「自分自身のみを要素として含む集合」 x={x} ですが、さきほどの Truth teller に対応する集合といえます。この集合の存在はZFのFoundation Axiomに違反しますが、この点は自己言及的な集合の存在を認めるためにはFoundation Axiomを排除しなければいけないことを示唆します。
    • ZFAに関しては、VialeがZFCにおける L のような構成的宇宙を構成したり*4、最近佐藤憲太郎氏がZFAで強制法ができることを証明したりと、かなりZFCと似た技術を使えそうです。
    • この辺の話の参考には、Barwise & Moss の Vicious Circles asin:1575860082がおすすめです。Barwise & Etchemendy のThe Liar asin:0195059441 もあります。こちらは日本語訳もあったようですが、訳本は読んでいません。
  3. ここから先は第3回以降の話の先取りとなりますが、非古典論理上で包括原理を持つ集合論では、ラッセル集合自身が存在してしまう訳で、ありとあらゆる自己言及的集合が存在できる「自己言及性の楽園」となっています。そのかわり、外延性公理を犠牲にしなければならなくなります。

*1:グレリングのパラドックスは、ラッセル・パラドックスとそっくりです。

*2:ラッセル集合 R に対し、R∈R→?(R∈R)→R∈R→・・・という循環

*3:このことを「ホントツキ」と誰かが訳していましたが

*4:ST氏のご指摘で修正いたしました。