「『砂山のパラドックス』の集合論的表現」

開始時間は10時、参加者は10人程度。1時間の予定が、質問等が加熱して30分近くオーバー。基本的には皆さんに興味を持って頂けた様子。pdfファイルを大学のサイトにおいてあります。興味のある方はどうぞご覧ください。発表要旨は以下の通り。

本発表では、曖昧性の集合論的表現に関するR.M.セインズブリーの考察に対し反論を 行う。
R.M.セインズブリーは、集合を使用して述語を定義することとは、述語の外延とその 外部との間に鮮明な境界線を引くことであり、一方曖昧さの本質とは境界事例を許す 「境界不在性 (boundaryless-ness)」にあるので、曖昧な述語は集合を使用しては定 義出来ない、と論じた。
しかし「鮮明な境界線」は、集合を使用して述語を定義するからもたらされるのでは なく、縮約規則(the contraction rule)によってもたらされる。縮約規則のない論理 上では、例えば包括原理を仮定した集合論において、λ項、そして推論そのものを集 合として表現できる。そのような体系では、集合の持つ境界線は固定的で鮮明なもの ではなく、不安定で証明ステップごとに構成要素が変化していく動的なものとなる。 そして不安定な境界線を持つ集合は、外延性公理を満たさない集合として特徴付けす ることができる。
そのため本発表では、グリシン論理上包括原理を持つ集合論において、曖昧性につい て特徴的な現象である「砂山のパラドックス」における推論を表現するような不安定 な境界線を持つ集合を定義し、それが外延性公理を満たさないことを示す。


参考文献 Sainsbury, R.M. 1990. "Concepts without boundaries" Vagueness: a reader, Cambridge, Mass.:MIT press, pp. 251-264

科哲コロキアムの時とはアプローチを変更し、

  1. 縮約規則のない論理上の集合論では、推論(や当然型無しλ項も)を集合として表現できる。
  2. 古典論理上で形式化すると矛盾を導く推論やプログラムであっても、それでもそれは推論やプログラムとして存在しており、形式的に扱いたい。それらを論理体系上で整合的に扱えるという点が縮約規則のない論理上の集合論の利点。
  3. 縮約規則のない論理上の集合論において自己言及が(Russell paradoxのような悪循環タイプであっても)整合的に表現できる*1のは知られていたが、実は曖昧性(砂山のパラドックス)も同じ枠組みで表現できてしまう。

という点を強調しました。
質問としては、集合θの構成法(アルゴリズム!)が、θの満たすべき条件からstraigt fowardには出てこないとのご指摘を受けました・・・そのとおりです、はい。後で考えたのですが、θを定義する論理式は、低級言語or バイナリで書かれたプログラムに相当し、"n∈θ→n+1∈θ"という再帰法の条件式が関数型言語で書かれた(読みやすい)高級言語での表現に相当することになります。だから読みにくいわけだ。
他にも、色々有益なコメントを頂きました。ありがとうございます。

*1:強力なCantini-白旗-Girard帰納定理があり、自分自身をパラメーターとしてとるような集合が構成出来る。構成法は対角化。