Esenin-Volpinと旧ソ連の構成主義

仏語西都逍遥さんのところで昨日のエントリをご紹介いただく。ありがとうございます(いつも読ませていただいております)。それはそうと、Esenin-Volpinの数学の業績とその背景について。

私が始めてEsenin-Volpinの名前を知ったのは「厳格な有限主義」の代表者としてである。英語版Wikiの記事にもなってるように、「自然数全体」のuniquenessとか、exp(exp(exp(79)))とかのような大きな有限数とかは、実際に書き下すことが出来ないので、数や集合といった確定的な存在物として存在しないと主張する。今Gandyの紹介論文が手元にないので不確かだけど、「書き下せる」という概念の定義に、アルゴリズム概念を使っていたような気がする。他に「集合論の無矛盾性を証明した」と主張したとか(ロシア語で400ページの草稿)。本人の書いたものは英訳されていないようで、断片的(GandyやVopenkaらが英語で言及している)にしかその内容はわからないが、とにかくそういうことらしい。また直リンクは避けますが、日本語でエッセニン・ヴォルピンに言及しているサーヴェイがwebで読め、このエントリでも参考にさせていただきました。
これは構成主義の過激なバージョンと受け取られており、Dummettを読んだ人なら"Wang's paradox"の冒頭で言及されている(そしてDummettは「『実際に書き下すことが出来る数』という概念は曖昧であり、Sorites Paradoxをおこす」と批判した)ので、ご存じな人も多いかも。最近では複雑系分野で肯定的に言及されていたりします。
あまり関係ないが、旧ソ連では構成主義が驚くほど強い。今、手元に「数学論」(G.I.ルザービン・岩波書店1977年)があるのだけど、論理主義・形式主義ウィトゲンシュタイン論理実証主義を口を極めて非難しながら(『非唯物論的』だとか)、その対比として持ち出されるのがコルモゴロフとマルコフの「ソヴィエト学派」構成主義。ブラウアーの不明確な生成的自由選択系列概念を拒否し、精確な正規アルゴリズムの概念で置き換えたのがMarkovの功績なんだそうで。
ただし、旧ソ連構成主義が順風満帆だったわけでは決してなくて、大粛清の時代、構成主義的傾向の生みの親のルージン(Luzin setで有名)は、超限帰納法のような重要な武器をプロレタリアの手からたたき落とそうとするメンシュヴィキ=トロッキー主義的立場」を糾弾されて収容所送りになった、そうだ(「全体芸術様式スターリン」ボリス・グロイス・現代思潮社)。実際はちょうど芸術分野でのフォルマリズム・構成主義批判の巻き添え(同じ『構成主義』だけに)になったらしいが。情報が少なくて、そのとき何が起きて、そしてなぜ構成主義者が根こそぎにされなかったのかはよくわからない。