「数学的真理」(ベナセラフ)

リーディングス数学の哲学。とても面白く読めました。

ベナセラフの書くことはもっともだが、日本語の「道案内」には不満も。
「道案内」では「数学の言語の標準的意味論が措定する数学的対象が、我々と因果的交渉を持ち得ないことは明らか」(p239)と書いているが、本文中では「了解しがたくなる」(p260)とか(因果的交渉についてのGodel説では因果的交渉のメカニズムについて)「それについて何も告げられていない」(p263)とかいっているだけ。少し表現が強すぎるのではないか。自然な解釈だろうけれど、この点を強調しすぎると誤読になると思う。素人考えでは「経験的世界についての因果的関係を説明するちゃんとした理論もない状態で、数学的対象と因果的交渉を持ち得ないと結論するのは時期尚早」といいたいところだ。
実際この論文は2つの原則を既存のどの理論も片方しか満たしていないことを示した(p245など参)のであって、「道案内」の言うように「両者をあわせるならば数学的知識は不可能である」(p239)ことまで示しているようには思えない。
そんなことより、この論文について強調されるべきことは、「真理と定理性との間の関連」(p251)もしくは「真理と証明との間の結びつき」(p261)を強調する点ではないか。MLGで聞いた、証明論的な性質(カット除去)と意味論的性質(phase semanticsのある性質)との結びつきについてのTR氏の講演の記憶が鮮明だからかもしれないが。STのstalker理論もこの範疇に入るかもしれない(STの用語では「外延性」と「内包性」になる)。この意味でsyntacsとsemanticsの間をつなぐ研究がもっと行われるべきだろう。
ついでにp255での数学的真理と言語における真理との話はちょっと気に入った。