"The Philosophy of Applied Mathematics" (Alan Baker)

科学的実在論者でありながら、数学的対象に関するフィクショナリストであるにはどうしたらよいのか。
通常、科学的実在論者は下記のパットナム流 indespensability argument によって数学的対象の実在論にたどり着く

  1. 電子などの理論的対象は、自然現象を説明する最善な理論である科学的理論において不可欠な役割を果たすが故に、「存在する」ということができる
  2. 数学は最善な科学理論を展開する上で不可欠であり、数学的対象は数学を展開する上で不可欠である
  3. 従って、数学的対象は、最善の科学理論の展開のためには不可欠である

上記の議論の問題は、「電子は最善の物理学理論に不可欠である」というときの「不可欠性」と、「数学は最善な科学理論を展開する上で不可欠」というときの「不可欠性」は別の種類であることである。
例えば「素数ゼミ」の場合、素数ゼミのライフサイクルが17年なのは「素数年での同時発生は捕食者が同期して発生する可能性を抑えられるため」(wiki)と説明されることが多い。この場合、素数という数学的概念は、素数ゼミの周期の説明に不可欠のように見える。しかし、そもそも「なぜ素数ゼミの周期は素数なのか」という設問自体、素数という数学的概念を持ち込んでいるために、question-beggingであり、この意味で素数概念が説明に不可欠だとはいえない。