「無限論の教室」(野矢茂樹)

帰宅前、駅近くの本屋で購入、電車内で読了。多分いい本だと思うのですが、私は好きになれません。立場的にはウィトゲンシュタイン(とダメット)をほのめかしながら、可能無限→際限なき拡張可能性という路線で、集合論および「実無限」という考え方をシメています。
ところで、この本が「直観主義ならばラッセル・パラドックスは回避できる」という説を広めたのですね。いわく

ラッセル集合、つまり「自分自身を要素としてもたない集合」ですが、これもまた、可能無限的観点からすれば、そういう集合を集めてくる際限もない作業があるにすぎません。こうした生成するものとしての集合というイメージのもとでは、「自分自身を要素に持つ/持たない」ということも考え直さなければなりません。「ラッセル集合」とは、そうした作業遂行の方法に付けられた名前に過ぎません。それは決して完結した全体として対象化されえないものですから、それが要素になるとなならないとかいうのはナンセンスなのです。(p.167-168)

正直な話、これは「際限なき拡張可能性」の名の下、よくある(陳腐な)解決法ではあります。この解決法自体は矛盾している訳ではない。しかし問題は、この解決法のことを直観主義の応答 (p.162)と呼んでいるけれど、それはとてもミスリーディングな呼び方だ、ということです。ご存知の通り、直観主義論理のもと、包括原理を仮定すると矛盾が導かれます。もちろん、「直観主義」者が直観主義論理を採用する必要はありません。ですが、ここでの肝は、著者の言う「直観主義」と、直観主義論理や、ブラウアー本人の思想との関係がよくわからないことです*1。とにかくまぎらわしい。他に、終わりの方の不完全性定理に関する取り扱いも不満を持ちます。
この本を読んで感じることは、とにかくこの本からは「数学/集合論に対する愛」が感じられない、ということです。もちろん、哲学者がそんなものを持っている必要はないのですが、それならわざわざ数学の話題なんか取り上げなければいいのに、とか思ったりもします。それから、この本の大学教官のタジマ氏は学生に平気で「愚劣だ」とか言いたい放題だけど、その点も遺憾に思います。

*1:2011年1月8日追記:もちろん、この本の「直観主義」は、多くの点で数学的直観主義およびそれに影響を受けた思想に近いと思われるんですが、でも一方で排中律を排除すべしという結論までタジマ先生は導いているわけで、数学的直観主義直観主義のルートと、一方でラッセパラドックス直観主義論理では解決しないという事実との折り合いをどう付けるべきかもよく分かりません。