Logica 2009 (二日目・午前)

本日午前は証明論的意味論系の話が多い。

Field's paradox and its Medival solution (Stephen Read)

Hartly Field は "Saving truth from paradox" のなかで、真理述語の全域性を許す体系の代償として、否定のルールがおかしい(弱まった)矛盾許容論理を導入しています。で、クリスペン・ライトは、命題Aの否定は、aとincompatibleな最小の命題であるべきだとして、それに反対しています。で、その議論に、ライトは二つの原理(incomaptibiulity 原理とentailment原理)を使っているのですが、フィールドはそれを使ってパラドックスを導いたと主張しました。
で、そのパラドックスは中世の偽スコトゥスによるパラドックス「神は存在する、それゆえこの議論は間違いである」と同じ構造をしている、と講演者は主張します。これは、サクソンのアルベルト(14世紀)によって発見され、カリーのパラドックスと似た構造をしています。そして、オックスフォードのトーマス・ブラッドワーディンによって「解決」された、とされています。この「解決法」は、文脈(のようなもの)を考慮することで、文は字面通りよりもっと多くの内容を含むことを主張します。こういう文脈な方法により、ブラッドワーディンの方法ならカリーもフィールドも偽スコトゥスパラドックスも解決できることを、講演者は示しました。
氏は St. Andrews のArcheの親玉で、私にとっては古典論理でもハーモニーが存在しうることを示した論文の作者なのですが、氏の専門は中世哲学であり、今回の話の切り口は私にとって全く予想外のものでした。いやぁ、面白いんですけれど、絶対にマネ出来ませんねぇ。

Philosophical aspects of display logic (Shawn Standefer)

ピッツバーグの院生でベルナップの弟子のStandefer氏による、Belnap の Display logic の紹介。Display logic は極性(polarity)概念を全面的に導入した列計算の体系であり、極性のおかげで(見た目はともかく)導入ルールなどがわかりやすいのが特徴。だからハーモニーもちょっとわかりやすくなっています。
また、面白かったのが質問時間で、Wansing氏が「推論主義(inferencialism)に基づく証明論的意味論は、完全性が成り立たない意味論だ」と主張していました。確かにある意味そうで、BHK意味論と同じく単なる「意味」の説明である面はあると言えるのかもしれません。
ちなみに、氏のBlogも一見の価値ありです。

Deflating logical consequence (Lionel Shapiro)

真理に関するデフレ主義は最近はやっています。そして、論理的帰結関係は、昔は真理の保存関係と説明されることが多かったのですが、最近はこれを原始的な関係と見なす推論主義がはやりです。なら、論理的帰結関係についてもデフレ主義をとればいいじゃないか。そういう話です。
発表の後半ではFieldの縮約規則を持たない非古典論理に関する非難の反駁をしていました。

Logica 2009 (二日目・午後)

午後も面白い話が多かったです。

Always more (Greg Restall)

いや、面白い発表だったんです。可能世界意味論では「命題=可能世界の集合」と、外延的な関係が成り立つと言われています。もっと正確に言うと、

  1. 任意の可能世界では任意の命題の真理値が決定される
  2. 任意の可能世界の集合は。ある命題を定める(対応づける)

この話ではその関係に疑問を呈するべく、様相論理の体系に、統辞論的なオペレーター♯(連言の左端の命題を取り出す)を導入し、それが上の1/2を成立させなくするという話です。♯がある程度自然に見えるだけに、その♯が「命題=可能世界の集合」の関係を崩す以上、1/2も維持できないだろうことをほのめかしました。統辞論的なオペレーターは、昔から扱いが難しい点が知られており、その新しい応用というわけです。
それはいいんです。この発表、何がすごいって、最初の10分間が過ぎるまで、論理式も数式も記号(♯以外)も一個も出てこなかったんです。名人芸でした。

夕方、ビア・パーティーの余りのビールをみんなで飲んでいると…

S教授曰く「日本の論理学者は皆、証明論を研究しているんだよね」 ... 。それは竹内外史およびA教授の印象が強すぎるから、そう思うのです。