"Reductive Theories of Modality" (Ted Sider) (7)

19時半より22時15分まで、私が遅刻したせいで開始が遅れる。参加者は4人、p.24第2パラグラフ-p.25まで。

  1. 分析性を「規約によって真」と見なす考え方について。特に深刻なのはクワインの "Truth by convention" における批判であろう。
    • "... definitions are available only for transforming truth, not for founding them"(1966. p.81).
  2. クワインの「論理的真理は規約によって真なのではない」という議論を、サイダーが「改良」した版を紹介しよう。
    • 以下のように論理的帰結関係を「規約によって定める」場面を想像しよう:「任意の文 P について、『PならばP』は真である」と定めよう。
    • 規約の制定者は、例えば、「真である」という言葉の意味を変更することだって出来る(「真な文」のリストを作り、このリストにある文だけが真であるとすることもできる)。しかしこれは「規約によって真理を定めた」ことではなく、「『真理』の新しい意味を定めた」ということである。
    • また、制定者は、命題間の関係 R (ただし R(p,p) が任意の命題 p について成立するようなもの)を取り出し、これによって「任意の文 P について、R(p,p)なので、『PならばP』は真である」ということにしよう、ということも可能である。しかし、これでも「規約によって真理を定めた」ことにはならない。つまり
      • 「R(p,p)が真である」ことが「『pならばp』が真」であることの原因である。
      • R(p,p)が真であるのは、「R(p,p)が真である」とすでに仮定していたからである。規約が原因ではない。
  3. 最後にあまり関係ないけれど、雑談として、上のRのような論理的帰結関係を基礎づける関係が「実際に世界にすでに存在する」と見なすことも可能かもしれないという話に。サイダーは形而上学に関して「世界を関節にあわせてうまく切り取る」ことでより良い形而上学的枠組みを作ることが可能だ、と論じているが、その議論が論理にも適用できるのかもしれないし、出来ないのかもしれない。出来る場合、論理も一種のアフォーダンス的に成立するのかもしれない、かもしれない。