"Reductive Theories of Modality" (Ted Sider) (3)
19時より22時まで、参加者は3人、p.10第二パラグラフ-p.13最後まで。
- Linguistic ersatzism*1の続き。たとえば様相論理のモデルを作る際、メタ理論をZFCにして、文の極大無矛盾集合(Zornの補題で極大性を保証)を構成して、それを可能世界と見なすことがある。これは、様相概念(可能世界)を無矛盾性と極大性(Zornの補題)に還元しているので、還元の成功例になっているはず。しかし著者は可能世界を文の集合と見なすやり方は、循環的な定義に陥ると主張する。それはなぜか。ZFCの例では公理からの証明可能性*2という分かりやすい基準があるが、しかし他の種類の様相概念(特に分析性/a priori 性など)の場合、そんな明確な基準はない。例えば分析性について、なにが公理にあたるのかを特定することは、結局、言葉の意味について何が必然的かを特定することに等しい*3。というわけで、数学の場合は可能でも、結局自然言語に拡張しようとすると還元作業が失敗するのでは、という結論になった。
- プランティンガの"Actualism and Possible Worlds" について、プランティンガは結局様相概念を他の概念に還元するつもりはない*4、と驚愕の宣告。彼は神学的議論のために、道具として可能世界が必要で、だから「可能世界意味論が存在することは必然的である」とかいう謎の議論が必要だった、ということだそうだ。
- Combinatorialism について、これは可能世界を時空的点の集合と同一視する立場だが、「時空的点」と物理学の概念を使って記述されるものの、だからといって物理学的真理(光が秒速30万kmとか)は決して必然的真理ではなく、物理に関してalternativeは許されるようだ(例えば光速が毎秒30kmの世界とかも可能である)。しかし論理や数学的真理は必然的真理と見なされる可能性が強い様子。ついでにメタ理論は集合論っぽい。
- Combinatorialism のバージョンとして、例えばカルナップの「可能世界は原始概念に関する文の集合」という説があるが、著者が指摘している問題点は原始概念を増やせば解決するのではないか、と私は思った。しかし、そうするとErsatz worldと同じ問題点に直面してしまう、と指摘される。
あと、ホントどうでもいい話ですが、途中ログインとMSXとパソコン通信とキャプテンシステムの話に脱線。
*1:文の極大無矛盾集合を可能世界と見なすことで、必然性概念を無矛盾性などの論理的概念に還元する
*2:Pが公理から証明可能ならばPは必然的に真、Pの否定が証明不可能ならば可能的に真。
*3:また、例えば「水はH2Oではない」という文の場合、これはもちろん経験的な文だが、これが可能なのかどうなのかは、結局経験性と可能性の関係をどう考えるかによる。こういう文を文の極大集合が含むかどうかを決定するためには、こういう文の扱いを決めておく必要があるが、この決定こそ結局は「何が可能か」ということを決定する訳で、その意味で可能性概念によって可能世界を定義していることになってしまう。K氏曰く「a priori性/分析性/可能性といった概念が同じだと考える場合、可能世界意味論はあまり意味がなく、違うと考えるからこそ意味を持つ」。
*4:he accepts that possibility and necessity must remain unanalyzed.