“Logical Pluralism” (2) (Greg Restall & JC Beal)

17時半より21時まで、参加者4人。
本日は第6章のcriticismについて。批判1における4つの例がどう違うか(すべてpluralismとの比較で判断されるべき)について議論。批判2については二つ批判、一つはKleene3値論理をcasesに含めるなら A ┣ A もvalid になるかわからないこと、またもう一つは共通論理がSambinのBasic Logicのような、弱いがそれなりの論理になる可能性は依然として残るということ。
他に著者らの方針の有効性を巡って議論、私は

  1. 原理(V)が説得力を持つように見えるのは、(V)のなかの "True" という語の意味を我々が(古典的意味で)把握していると思っているからであり、
  2. もし弱い部分構造論理などを、(V)を通して理解しようとすると、その真理概念はとても古典的真理概念からかけ離れたものとなり、理解しがたいものとなるだろう。
  3. そのようなケースでは、(V)による帰結関係の理解も、deductive systemとして帰結関係を理解するのと本質的には変わらず、わざわざ(V)によって帰結関係を解明しようとするmotivationが失われる

のではないかと思う(あまり参加者の共感を得られなかったが)。真理概念を、原始的な概念とは見なさず、証明論の立場から二次的な概念と見なす立場(ダメット、の名前を出していいんだろうか?)からは、帰結関係を(V)によって解明しようと言う著者らの立場は噴飯ものに見えるかもしれない。