「国家の品格」

眠気覚ましに少しは社会派っぽいことも書いてみようかと。伯母が送ってきてくれた荷物の中に、なぜか「国家の品格」が入っていた。ちょっと読んでみたのだが・・・なんというか。この本が売れたのは、買った人すべてが作者の主張に純粋に共感したためだとはあまり思えない。
愛と苦悩の日記さんのところで、「作者こそ品位を欠く」と書かれていて、それはある点でその通りだと思う。ただ、それはコインの表面に過ぎない。裏面は、その「品格の欠如」こそがこの本の核心ではないかと思う。結局、適度に下品なオッサンが、まじめに高尚っぽいうんちくを語っていて、その語り方と内容のギャップが妙に滑稽でかわいげがある、その点だけしか読まれていないのではないか。
昔バイト先で著者の某F教授のゼミにいた、という女性に話を聞いたことがある。教授はいかつい顔だが妙にかわいいところがあって、たとえば2月のゼミの予定を決める時、「2月は何曜日にしようか、(14日は○曜日なので)僕は○曜日が都合がいいなあ」と必ずいうそうで、ついでにそのあと昨年息子が学校で何個チョコレートをもらってきたかを必ず宣伝して息子には負けたくない、と闘志をむき出しにするそうだ。このご時世、下手すればセクハラものの内容だが、F教授からはさすがに全く生臭さを感じないそうで、そこがかわいらしいらしい、そうだ。
実は「国家の品格」は、天然な作者の「かわいさ」を鑑賞する萌え本だった、ということでどうでしょう。実際まじめな国家論だと考えようとすると、牽強付会、論理は破綻、どこかで聞いたことのあるような主張の寄せ集め、結論先にありきのどうしようもない本なので、それくらいの理由がないとここまで売れていることに説明がつかない。