セミナー「科学の拡大と科学哲学の使い道」(伊勢田哲治)

に行ってきました。メモを取ったので、備忘がてら記事を書こうかと思ったのですが、商業ベースのセミナー*1のため著作権等の制限がよく分からないため、詳細は控えます。
題材は科学哲学で、内容を乱暴に要約すると

  1. ローカルな知*2を活用する「モード2科学*3」は環境保全などの分野で着実に使用されていること、
  2. 一方で厳密な科学的知識の範疇に入らないローカルな知識の活用は下手をすると疑似科学に陥ること、
  3. 科学と非科学の間の線引き問題の枠組みの中で、両者を分ける基準を考えるべき。その際、基準は「所与の条件でもっとも信頼できる手法を用いているか」といった、研究の内容や厳密性というよりは信頼性を求める研究態度によるものが有効であろう、と提案。

非常に面白かったです。私自身は情報工学系の研究機関で働いているため、今回の話は自分自身の体験(体系的でない「現場の知」とどう向き合うか)と多くの点で関連し、勉強になりました。今度「モード2科学」と言う言葉をプレゼンで使おう。

また、参加者の方々の反応も、微妙に面白かったです。司会のO氏は、エビデンスなしでも許される人文科学系の言説への危機感から線引き問題に強い興味があるように聞こえました。また、経済学者のI氏は、最初に「経済学は科学か」といった、経済学の文脈での線引き問題に強い関心を示していました*4。また、精神分析の話題なども出ました。モード2科学とその線引き問題は、射程の広い問題であることは間違いないようです。

*1:シノドス関西ツアーの一環

*2:例えば、環境保全学における「伝統的生態学的知識(TEK)」こと、「稚魚は網にかかっても海へ帰す」のような地域の伝統的生態管理の方法など。

*3:モード1科学・モード2科学はGibbonsによる分類。CUDOSに従い世界の解明を目的とするモード1科学と違い、モード2科学は具体的な問題の解決を目的とする。情報科学などもそういう面は強い。

*4:特に、不況対策として何かをしなければならない場合、それが経済学的に有効かどうか決着のついていないものである場合、モード1的な科学的誠実さからすると沈黙を守るべきである。しかし、沈黙を守るとは結局現状を追認すると同値である。ここでモード2的な考え方は有効、しかしこのアプローチは下手をすると疑似科学へと落ち込む。