ラッセルのパラドックス:傾向と対策 (3.2.2.5) : 補足・・・ウカシェーヴィチの "Spiritual war"

前回は、ウカシェーヴィチ3値論理では、包括原理が矛盾を導くという話をいたしました。そのとき、「3値論理はアリストテレスの分析の結果、アリストテレスの意図を3値論理として再定式化したもの」と受け取れるような書き方をしましたが、それは実は間違いでした。本日はその話を手短にご報告したいと思います。

Spiritual war

えーと、ウカシェーヴィチの3値論理に関する自分自身の解説は、"On determinism" (英訳全集 p.110)に入っているそうです。その本は大学の図書室にあったのですが、今は読めないので、以下の引用は "Basic many-valued logic"*1からの孫引きです。

I have declared a spiritual war upon all coercion that restricts man's creative activity. There are two kinds of coercion. One of them is physical ... the other ... is logical. (中略)That coercion originated with the rise of Aristotelian logic and Euclidian geometry.

・・・えーと。書き直すと、大意は

  1. 私は、人間の精神の創造的な活動を制限しようとするすべての強制に対して戦いを宣言した。
  2. そのような制限には二種類ある。一つは物理的な強制、もう一つは論理的な強制である。
  3. そのような強制は、アリストテレスの論理学と、ユークリッド幾何学をもって始まった。

かくして、「精神の創造力の解放」をキーワードに3値論理が導入されます。すなわち、もし未来の出来事を表す文の真偽が今日の時点でもし決まっていると考える(古典論理の立場)ならば、決定論に与することになり、人間精神の創造的活動力とか自由意志とかが働く余地がなくなる、というわけです。従って未来を扱う文については

  1. 排中律は成り立つべきではないし*2
  2. その文の真理値は真/偽どちらであるべきでもない。

という理由で、そのようなまだ「未定の未来の出来事」のステータスを表現するため、3値めの真理値を導入する、という話になったようです。
つまり、ウカシェーヴィチ流に言うなら、「ラッセル・パラドックスを3つめの真理値の導入で解決しよう」という試みは、人間の解放された創造力をもって矛盾を強要する古典論理の制約を打ち破ろうという精神の戦いだったのですが、しかし莫少揆は東洋的諦めによって精神力だけでは戦いには勝てないことを証明してしまった、ということになるのでしょうか。知らんけど。

Principia Mathematica

さて、Urkhartによると、ウカシェーヴィチの3値論理がああいう形で定式化された理由は

  • 論理は Principlia Mathematica のスタイル、つまり公理と置換と modus ponens によって形式化されなければならない
  • 真理関数的でなければならない

さらに

  • A→Aは必ず真でなければならない

ということを要求しているそうです。ポーランドにおけるPrincipia Mathematicaの影響力には驚きます。
手元にウカシェーヴィチの論文集をお持ちの人、もっと詳しい事情(特に真理関数的とA→Aに関する正当化)がわかりましたらお教えください。

様相と真理関数的論理

最後に、真理関数的であることを要求したため、ウカシェーヴィチの3値論理が現代的な意味での様相概念を表現しているとはとても思えません。つまり、命題AとBの真理値が偶然的に真のとき、A→Bの真理値はウカシェーヴィチの3値論理でも真になります。しかしAとBが真なのは偶然的な事実なので、このケースで「A→Bの真理値が必然的に真である」と考える現代人は少ないだろうと思います。

*1:Urghart, A. Handbook of philosophical logic, vol.3. pp249-

*2:憶測ですが、もしかしたら、この点が「排中律をなくすことでラッセル・パラドックスを解決できる」という間違った俗説の原因になったのかもしれません。1930年代までは、排中律を否定する直観主義論理は多値論理で表現される、と考えられていたこともありましたし、「排中律の否定→多値論理の導入→ラッセル・パラドックスの解決」と信じられた時期があったのかもしれません。