多値論理と確率の違い

sumiiの日記経由、多値論理の 0,1 以外の真理値を「その命題が真である確率」を表すものと解釈する人が時々いますが、Lukasiewicz 三値論理などではその解釈は成り立たない、というご指摘。
この論法は、Fuzzy論理の真理値(区間[0,1]の実数値)を確率として解釈するのは間違いだ、ということを示すのにもよく使われています。例えば、Machina*1によれば、命題 p の真理値が0.5のとき、

  1. 真理関数的アプローチを取る限り、命題 p& not p の真理値は 0.5 となり、 p& not p という矛盾命題が "partial truth" であることを認めることになる(ファジイ論理はこれに当たる)、
  2. 確率論においては、 pと not p は排反なので、もちろん p& not p は確率 0 となる、

ことを指摘しています(p.183)。 多値論理、特にファジイ論理の真理値が何を意味するのかは、実は結構奥の深い問題で、単純に「真である確率」とか、簡単に解釈することはできないということです。

*1:"Truth, belief and vagueness" Kenton F.Machina. in Vagueness: A reader, MIT press, 1997. 原論文は1967年