論理と代数の分岐点

直接関係はないけれど、研究集会で出た話題なので・・・当たり前の話(もしくは単なる誤解)なので恐縮ですが、備忘のためここに書きます。
今回の会議は「代数と論理」についてで、論理体系の証明論的性質を代数的に特徴付けることなどが主なテーマである*1。だが、論理への代数的アプローチ自体は、本来19世紀のブールやシュレーダーらに端を発する。ではどの時点で「代数と論理の分離」が起こったのか、という話になった。T氏やL氏などとの話を総合すると

  1. 「代数と論理の分離」自体はやっぱりFrege。彼の、論理から算術が導かれるべきで論理を算術化するべきではない、という主張は有名だし*2。Fregeにとっては "One genuine logic"ただ一つがあるだけだったので、「異なる論理間の比較」なんて問題になるわけがない。
  2. ただしもちろんFregeの「真理値の論理」において真理値と思想は不可分であり、当然Syntacs/Semanticsの分離などは起こっておらず、そういう視点ではやっぱりHilbert以降なのか。

・・・当たり前の話で申し訳ないです。それより、議論の最中、BrouwerについてL氏から以下を教えて頂く。詳しい話は "Brouwer's intuitionism"*3 (W.P. van Stigt)にあるそうだ。

  1. Brouwerが論理主義に反対していたことはもちろんよく知られている。
  2. しかし一方で、基礎づけという枠組みから離れるなら、論理学に決して敵意を持っていなかったようで、
    1. Symbolic logicは"Things of beauty"である、と発言していたり、Heyting の直観主義論理の公理化を高く評価していた
    2. またBrouwerにとって"algebraic logic"とはBooleとその後継者の仕事のことで、そしてBooleの仕事を、論理主義のような「基礎づけの枠組みとしての論理」ではないので(!)、尊敬していたらしい。

この意味で、Heyting代数は、Fregeではなくブールやシュレーダーらの影響下にある、と言ってしまっていいのだろうか。もしかしたら、Brouwer的視点からすれば、「論理学の発展にとってFregeの影響は有害だった」と論じることだってできるかも知れない。少なくとも、代数的論理学と非古典論理学の発展にとっては有害だったといえるだろう。その意味で、DummettはFregeを評価しつつ直観主義論理も評価しているけれど、歴史的な視点から見るととても不思議な話だ。

*1:これまで論理学には、(カットを除去などによって)syntacticalにある体系の無矛盾性を証明したとき、その体系を少し変更したらまた変更した体系の無矛盾性を証明する必要があるなど、かなり煩雑な"bureaucracy"にあふれていた。代数的意味論に論理を翻訳し、カット除去などの証明論的性質に対応する代数的な性質を探すことで、一々煩雑な手続きから解放され、論理体系の共通な性質の探求に集中することができる、というのが最近の代数的論理学の研究意義の一つ、なのだそうだ。SyntacsとSemanticsの融合、なんてキャッチーに言っていいのかなぁ・・・なにぶん初心者なので、誤解がありましたらご指摘頂けたら幸いです

*2:「ブールの論理計算と概念記法」:日本語版全集第一巻、p.142など

*3:Amsterdam ; Tokyo : North-Holland. Elsevier Science Pub. Co. , 1990. - (Studies in the history and philosophy of mathematics ; v. 2